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みなさま、あけましておめでとうございます。 昨年はお世話になりまくった方も、何の接触も無かった方も、 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 怒濤のように忙しかった12月を振り返りつつ、 今年もブログをちょこちょこ更新させていただきますので、 お暇なときにでものぞいてくださいませ。
初めてでは無いのですが、国宝の撮影には独特の緊張感を伴います。 例えば、建造物などであれば、まあよっぽどの悪さをしない限り、 取り返しのつかない事態にはならんのですが、 物が小さいと不測の事態も考えられるわけです。 (不測なのに考えられる?日本語が変ですね) 手に変な汗をかいた一時を過ごさせていただきました。
本日OAだル〜。 総合・福岡県域 午後7時30分〜7時55分(NHK的表記) 福岡空港って都心から近くて凄く便利ですよね。 でも、どうしてこんな街中にあるのか? 羽田も成田も関空も、街からはまあまあ遠い、というかぶっちゃけ不便。 福岡空港が出来た歴史なんかもリサーチしまくって、 掘り下げまくって撮影しまくりました。 ぜひぜひ観てくださいませ。
平戸には全国でも珍しい景色があります。 それが、寺院と教会が見える風景。 平戸ザビエル記念教会と光明寺、瑞雲寺が交差して見える平戸を代表する風景。 カトリック教会の尖鋭な屋根と十字架、そして寺院の屋根瓦がひとつの風景となり、 日本と西洋の文化を感じさせる平戸を代表する景観のひとつとなっています。 弾圧の中でも信仰を絶やさなかった平戸の人々の心が残されているのであります。 そんなちょっとした歴史を勉強していくと、旅は数倍楽しくなるのであります。
針尾送信所を撮影しました。 佐世保のハウステンボスを訪れた人の多くは見たことがあるはず。 大きなコンクリートの塔が三本ある景色です。 実はこれ、現在は海上保安庁の無線送信所で、 自立式電波塔としては高さ・古さともに日本一なのです。 「現在は」と書いたのは昔は日本海軍の無線送信所で、 太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した電波塔として知られています。 「一二〇八」は12月8日。 つまり真珠湾攻撃の日ですね。 歴史を知ると、旅はぐんと深みを増すのであります。
公開して良いのかなぁ、まあいいや、な感じでアップしてます。 実はこれ、日本初の電気推進式遊覧船の機関室なのであります。 ものすごい音です。 でもカメラマンも撮るべき画を撮るべく近寄ります。 音声マンも録るべき音を録るべく近寄ります。 僕は彼等の1mぐらい後方にいるのですが、鼓膜が破れそうでした。 文句ひとつ言わない。 仕事って基本的にそういうもんだと思っているのであります。 (僕はよく文句たれますが・笑)
九十九島を海上から撮影しました。 右手が伸びてるのは釣りしてるわけではありません。 波の音を録っているのです。 こういう細かいこだわりがプロのプロたる所以なのであります。 それにしても船に乗っての撮影でいつも思うのは、 「カメラマンってよく酔わないなぁ」です。 ファインダーの中をずっと見てると気持ち悪くなるのが普通なのですが、 やっぱりそういうところもプロのプロたる所以なのであります。
熊本県玉名郡です。 ここには「奇跡の果実」を作る男がいるのです。 完全無農薬栽培の技術もすごけりゃ、話も面白い。 ものすごくナイスガイなのです。 ああ、早く情報公開したい( ̄▽ ̄) しばしお待ちを。
高野山奥の院です。 昨日の豊臣家に続き、本日は織田信長の墓所を撮影しました。 面白いと言ってはいかんのですが、織田信長の墓所のすぐ近くには明智光秀の墓所があります。 もしかして、あちらの世界では・・・ 「お前、よくもやりやがったな!」「いえ、あれは違うんですよ。」と 怒りの信長に言い訳の光秀、なんていう構図が描かれているのかも、などと思いを巡らすのも、 高野山を訪れる楽しみなのであります。
高野山奥の院にやってきました。 撮影しているのは秀吉を始めとする豊臣家の墓所です。 高野攻めを行っていた豊臣秀吉ですが、興山応其上人の説得により、 高野攻めを取りやめ、庇護するようになったと言われています。 つまり、時の権力者さえ、心を奪われる魅力がここにはあったと言う事。 いやはや、撮影が進むにつれ、ワクワクしまくってます。 構成をどうするんだ?という問題はちょっと横に置かせていただきたいのであります。
代表 野田 孝則
映画監督・脚本家・映像作家・プロデューサー。テレビを中心にドキュメンタリー、バラエティなど幅広く演出し、CMや企業用動画などの制作も多数。著名人や一般人、約3,000人以上をインタビューしてきた「聞き手職人」の顔も持つ。